「救ってくれた音楽に、縛られていた」― 星野源という存在から見える、創作と再生の地図

音楽に救われ、音楽に苦しめられ、再び音楽と共に歩む
ぼくたちは、ときどき、自分を救ってくれたものに縛られてしまう。
音楽。言葉。絵。誰かの笑顔。
それはあるとき、人生を変えてくれた確かな光だったのに、いつしか「ちゃんとやらなきゃ」「もっと高みへ」と、自分を追い詰める鞭になっていく。
星野源という人も、きっとそうだった。
音楽が居場所を作ってくれた
彼は音楽に救われた人だ。
子どもの頃から、「変わってる」と言われ続け、学校に居場所がなく、うまく他人と馴染めなかった。
そんな自分を、音楽は否定しなかった。むしろ、「変であること」を音として響かせることができた。
音楽は、最初に出会った理解者だったのかもしれない。
いつしか音楽の意味が変わっていた
やがて彼は、音楽で生きる人になった。
SAKEROCKでは、ゆるくてシュールで、意味のなさに意味があるような音楽を奏でた。
でも、社会の中で“ちゃんとした顔”をするには、意味のある言葉を、意味のある形で届けなければならなかった。
テレビに出るようになり、紅白に立ち、小説を書き、ヒット曲を生み出す。「星野源」は、国民的な存在になっていった。
そして、彼の音楽は、“人を元気づけるもの”になった。
でも――音楽は、いつからか、彼を苦しめる存在になっていた。
枯れた先に残るもの
創作意欲が湧かない。
でも、作れる。
技術があるから。経験もあるから。
だけど、「湧かない」という事実は残る。
それは、ずっと一緒に歩いてきた相棒との距離が、ほんの少しだけ開いてしまったような、不思議な孤独。
癒されるということは、痛みを抱えていないということ。
でも、痛みこそが創作の燃料だったとしたら?
もう傷ついていない自分は、何を表現すればいいのだろう。
その問いに、彼はいま、静かに向き合っているのかもしれない。
原点に戻ればいい
だけど、ぼくは思う。
きっと彼は、また音楽と歩き出す。
今度は、戦うためではなく、ただ共にいるために。
音楽を仕事にする前のように、意味や成果を求めずに、ただ“遊ぶように”音を鳴らす。
そんな星野源が、再び現れる気がする。
「ダメな自分でいい」と、彼はあるとき言った。
完璧じゃないからこそ、面白い。うまくいかないからこそ、優しくなれる。
何者かになろうとするのをやめたとき、本当の何かが始まる。
ぼくたちも、きっとそうだ。
救われたものに縛られてしまったなら、少しだけ距離をとってみてもいい。
また戻りたくなったら、そのときに戻ればいい。
音楽も、仕事も、愛も。
全部、敵じゃなく、伴走者だったのだから。
癒されたあとに、創作はもう生まれないのだろうか?
いいや、きっとこうして生まれる。
少しだけ静かで、
少しだけ優しくて、
もう、がんばる必要がないような…。
そんな音楽が、そんな人生が、
これからきっと始まっていく。
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