「また失恋ソングか、と思ったら。」— 感性から理屈へ、“橋渡し癖”の正体 —

また失恋ソングか
明るくて、リズムがよくて、おしゃれな曲って、つい何度も聴いてしまいます。
ある日ふと、「この曲ってどんな歌詞なんだろう?」と調べてみたら――
また失恋ソングか!
そんなことが、よくあります。
笑っちゃいますよね。
だから惹かれていたのか
正直に言えば、私は音楽を聴くときに、最初から歌詞を意識するタイプではありません。
どちらかというと「曲調」や「雰囲気」で選んでいます。
インスト(歌がない曲)でも気に入ったら全然聞くし、昔は歌詞なんて邪魔!とばかりに、歌のないジャズやフュージョンを好んで聴いていました。
どこか軽やかで、おしゃれで、心地いい。そうやって曲がまず気に入る。
でも、繰り返し聴いているうちに、だんだん歌詞も気になってくる。
調べてみると、明るく見せながら、実は切ない別れを歌っていることに気づく。
ああ、だから惹かれていたのか…と、後から腑に落ちる。
先に感じてから…
普段の私は、どちらかというと理屈派です。
考えるのが好きで、感情や出来事を構造で捉えるのが癖になっている。
けれど、音楽のような“感性の世界”に触れるときは、なぜか先に「感じる」ことが起こっているんです。
ある日、友達との会話でこんなことがありました。
特に悩みを打ち明けてきたわけでもなく、淡々と話していました。
でも、その話の奥に、ふと「気配」のようなものを感じたのです。
言葉では説明できない、でも、確かに漂っていたもの。
思わず私はこう聞いていました。
「もしかして、目立ちたくないって思ってる?」
相手はびっくりしたように目を丸くして、「なんでわかるの?」と。
さらに少しして、私はまた尋ねていました。
「もしかして、もう…ちょっと諦めてる?」
今度は静かに、「そうかも」と呟いていました。
まず感じる、それから考える
私は、クライアントの表情や声のトーン、言葉の間から、言葉になる前の“気配”を感じているようです。
そこから、後で理屈が追いついてくる。
「なぜそう感じたのか」を自分なりに整理し、言葉にして伝えていく。
そんなセッションの進め方が、私の自然なスタイルになっています。
どうしてそんなことができるのか?
どうしたら、それができるのか?
よく聞かれますが自分でもわかりません。
多分、これが私の「才能」なのでしょうね。
二つの世界に橋を渡す
これって、音楽の聴き方とまったく同じかもしれません。
- まずは感じる
- 後から意味が見えてくる
そして、感性と理屈のあいだに橋をかけるように、自分の中でふたつを結びつけていく。
私は昔から、対極にあるものをつなげる癖があります。
右脳と左脳、
感情と論理、
光と影、
涙と笑い。
別々の世界を、なぜか一つの流れとして捉えたくなる。
それはもう、「病気なんじゃないか」と思うほどです。
ついこの前も、明石家さんまの奥にある、「笑い」と「悲しみ」について記事を書いたばかり(笑)
でも最近、それが自分の“持ち味”なのかもしれないと思うようになりました。
失恋ソングに惹かれるのも、実はそこに「健気さ」や「立ち直ろうとする力」を感じているからなのかもしれません。
悲しみをそのままではなく、少し笑いながら、リズムにのせて……。
それでも前を向こうとする音楽に、私は心を動かされているのだと思います。
意味は後でわかるかもしれない
そんなふうに、「なんとなく好き」だったものの中に、あとから意味が見えてくる瞬間があります。
それは、セッションでも、人生でも、同じです。
感じたことを、ちゃんと信じてみる。
理屈は、あとからついてくる。
あなたか感じている「言葉にならない気持ち」も、いつか意味がわかる瞬間が訪れるかもしれませんね。
最近見つけた失恋ソング
ミシェルメルモの「おとなしいパレード」
忘れたいのに、脳裏にふと浮かんでしまう。それを楽しげなパレードに例えてみた。そんな一曲です。
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