陰謀論を信じる人たちの心理とは?その背景にある心のメカニズム

なぜ人は陰謀論に惹かれるのか

ここ十数年の間に「陰謀論」という言葉を頻繁に聞くようになりました。

SNSや動画サイトには、「世界の裏には○○がいる」「この社会は一部の人間に支配されている」といった話があふれています。

中には、科学や常識を疑い、自然な生き方を求める人たちが、極端な陰謀思想に傾いてしまうケースもあります。

正直、私にも昔、少しだけそういった話に惹かれたことがあります。

「もしかしたら本当かも…?」
「私たちは何かに騙されているんじゃないか…?」

そんな思いから、たくさん調べました。
でも、調べれば調べるほど、「世界はそんなに単純じゃない」と気づいたのです。

それでも、陰謀論に心惹かれる人たちを見ていると、どこか、過去の自分と重なる部分もあるように思うのです。

敵がいたほうが安心できる

世の中には理不尽なことがたくさんあります。

努力しても報われない、不安定な社会、信じていたものに裏切られる経験――
そうした現実を、まっすぐ受け止めるのはとても苦しいものです。

だからこそ、人は「誰かが悪い」と思ったほうが楽になります。

陰謀論の中では、すべての不安や怒りを“見えない敵”に向けることができる。

自分の痛みを整理するための“物語”として、陰謀論はちょうどいい構造になっているのかもしれません。

戦っている相手は、本当は親かもしれない

私が感じているのは、陰謀論に深くハマっている人ほど、「心の中の親と戦っている」ように見えるということです。

かつて自分を抑えつけてきた親、否定してきた存在、コントロールしてきた大人――
その影が、社会や政府、権威に重なって見えているのかもしれません。

「もう誰にも支配されたくない」
「自分の自由を取り戻したい」

そんな叫びが、見えない敵への怒りとして表れているのかもしれないと感じるのです。

自然派という名の不自然さ

陰謀論と相性のいい思想のひとつに、「ナチュラル志向」があります。

自然な暮らし、オーガニック、脱添加、脱医療、脱ワクチン……

その一つひとつに悪意があるわけではないけれど、「自然が絶対に正しい」となったとき、私はどこかに違和感を覚えます。

本当に“自然”なものって、もっと柔らかくて、揺らいでいて、「いろんな在り方があっていいよね」と言えるはずだから。

極端に走ってしまうと、「正しさ」で他者をジャッジしたり、異なる価値観を否定したりするようになってしまう。そういう生き方って、しんどくないかなと思うんです。

そこに、私は“自然さ”よりも、“戦いの匂い”を感じてしまうのです。

戦わないという選択

私は今、誰かを“敵”と見なすことよりも、「どうすれば共存できるか」を考えていたいと思っています。

この世界に不要なものなんて、一つもありません。そういう前提で捉えた方が、幸せだと思います。

たとえこの世界が理不尽で、矛盾に満ちていたとしても、それでも私は、自分の小さな日常を、丁寧に整えていきたい。

「自分だけは真実を知っている」という安心よりも、「よくわからないこともあるけれど、それでも大丈夫」と思える静けさを大切にしたい。

だから、陰謀論に惹かれている人を否定したいわけじゃありません。そこにやるせない何かを預けられるなら、それもありだと思っています。

ただ、もし今、それによって心がざわざわしているなら――

いちど深呼吸して、自分の内側の“本当の声”に耳を傾けてみてほしいなと思います。

あなたへのプレゼント

もし、もっと自分の心とやさしく向き合いたいと感じたら、こちらもご覧ください。

無料電子書籍

『自己受容の魔法 〜わたしを許したら世界が変わった〜』
自分の心を癒す、自己受容のヒントを詰め込みました。物語で読みやすくなっています。

体験セッション

一人ではたどり着きにくい心の奥へ、そっと寄り添ってみませんか。
あなた自身を、もっと自由に、もっと軽やかに生きるために。

▶︎ 体験セッションの詳細はこちら

最後までお読みくださりありがとうございます^^

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)