幸せで豊かな人生を手に入れる方法
悩みがないことが幸せなのか?
長年カウンセラーをしていると、ふとこんなことを考えることがあります。
悩みを解決することは、果たして本当にこの人のためになっているのだろうか……と。
なぜなら、悩みを解決しても、必ず幸せになるわけではないからです。
誰でも苦しいときは、とにかく一刻も早く楽になりたいと願うと思います。それはもちろん悪いことではないし、むしろ自然です。
ただ「楽=幸せ」かというと、話はそこまで単純ではありません。楽になると今度は違うことに悩み始めるのです。
何に悩み始めるのかというと、それは「生きがい」です。
別にこれといって特別困ったことはないし、すごく不幸というわけではない。どちらかといえば、恵まれているのかもしれない。
……のはずなのに……。
何かもの足りない。満たされない。いずれそういう心境になります。
贅沢な話ですが、ひとつ痛みが過ぎ去ると、今度はまた別なところに不満が出てくるのが人間です。
「そういう人は感謝の気持ちが足りない!恵まれていることに感謝しよう!」それも一理あるのですが、そもそも感謝というのは、自然に湧いてくる感情です。感謝して満足する「ふり」はできるけれど、それで心底満足できるかどうかというと、また別な話だと思うんです。
愛の3つ定義
私は長年、この問題に対する明確な答えが見つかりませんでした。そして最近、この問題に対する、ひとつの答えのようなものが見つかったのです。
まだこれが答えだとはっきりは言えませんが、かなりそれに近い感覚があります。
その答えとは、愛の定義を変えることです。
愛をどういうものと認識しているのかで、人生が大きく変わるのです。
愛の定義には、次の3つのものがあります。
愛の3つの定義
1.愛とはそばにいてあげること
2.愛とは世話をしてあげること
3.愛とは成長を促すこと
この3つの定義は、人間の成長段階と大きな関わりがあります。
愛とはそばにいてあげること
1つ目の「愛とはそばにいてあげること」は、幼児期に母親から与えてもらうことから定義づけられた愛です。この時期、子供は母親(養育者)を独り占めすることが当たり前となります。
母親がいつもそばにいてくれることで、自分は愛されているんだ、愛されるにふさわしい存在なんだということを理解します。正確には頭で理解するというより、体でそう感じられるようになります。
心理学では、この母親との特別な関係を作ることを愛着形成と呼びます。まさに母親と子供がひとつに愛で密着しているような関係です。
ここで愛着形成がなされることで、自分は存在していいんだという安心感ができます。
十分に母親に愛されるいることを感じることで、次の愛の定義へと進むこととなります。
愛とは世話をしてあげること
2つ目の「愛とは世話をしてあげること」ですが、これは子供がもう少し大きくなった段階の愛の定義です。
子供に自我が芽生えてくると、こうしたい、ああしたいという意志がはっきりと出てきます。とはいえ、幼い自分にはできないことばかりなので、母親に対して要求をどんどんするようになります。言い方はあれですが、子供が母親を奴隷のようにこき使い始めるのです。
まるで自分が王様、王女様になったかのように錯覚し、自分は世話をされて当然なんだと言わんばかりです。
世話を焼かれすぎた子供の末路は、いつまでも大人になりきれない子供のような自己中な大人です。ここで成長が止まっている人は、自分が満たされないのは、自分を大切にしない相手のせいだと勘違いをします。
友人やパートナー、上司や会社などに対して「もっと私を大切にしろ!」「俺の言うとおりにしろ!」と要求を続けます。
また、世話をされるのが愛だと定義づけしている人は、一生懸命に人を世話しようとする人もいます。世話を焼くことで、自分も世話を焼いてくれる、つまり愛されると信じているからです。
世話を焼いてあげた人から、愛が返ってくればいいですが、問題は返ってこなかった場合です。この愛の定義を持っている人は、悩みは主に人間関係となります。不満や文句が多く、人間関係がドロ沼化しがちです。
あの人がああしてくれなかった、この人がこうしてくれなかったという人への不満が悩みになります。
愛とは成長を促すこと
そして最後は3つ目の「愛とは成長を促すこと」という定義です。
子供がもう少し大きくなると、自分でできることが増えてきます。ここで親から「自分でやってごらん」と促されることで、できることが増えていきます。
最初は思うようにできず、癇癪を起こすこともありますが、根気強く取り組むことで「できる喜び」を感じるようになります。ここでは、親も根気強く子供にやらせてあげることが必要です。
親が根負けして「もういいから」と子供の課題を取り上げてしまうと、子供は成長の喜びを感じる機会がなくなってしまいます。親が「世話を焼くことが愛」と定義している場合、そういうことが起きがちです。
人は失敗の痛みを糧に変えながら「できた」を経験していくことで精神的に強く成長していきます。そのためには、厳しさも必要です。
「愛とは成長を促すこと」と定義している人は、厳しさを愛と感じます。しかし「そばにいてあげるのが愛」「世話を焼くのが愛」そう定義している人にとっては、厳しさは冷たさと感じます。
この違いはその後の人格形成に大きく影響していきます。
自分の成長を喜びにする
悩みがなくなれば幸せになれるのか?
その答えは、愛の定義を「愛とは成長を促すこと」に変えることです。
本当はこうなりたい。こんなことができるようになりたい。こんな夢を叶えてみたい。こんなことをしてみたい。
そういう成長欲求に正直になり、挑戦をしていくのです。
そのためには、やるべきことをやること、決めたことをやり抜くこと。そんな自分への厳しさも必要です。
難しいことに挑戦することを楽しいと思えるかどうか。未知な世界に飛び込んでいくことを、喜びと感じられるかどうか。
楽ではないですが、これが心が満たされる生き方です。
大きな悩みがなくなれば、成長の痛みを受け入れられる心の余裕が出てきます。すると、悩みを解決するという段階から、できないをできるに変える段階へ進むんでいくのです。それが自分を幸せな人生に導いていくのです。
これが現時点での私の答えとなります。
一緒に一歩づつ進んでいきましょう。
今日も応援していますね。