希望っぽい言葉が、絶望を生むとき

軽やかな人には見えない痛み

「もう、いい人にならなくていい」
「甘えていい。テイカーから始めよう」
「夢なんてなくていい。ラクに生きよう」

そんな言葉を聞くと、ふと、心がゆるむ気がする。
今までずっと頑張ってきた人なら、なおさらだ。

でも――

その言葉が「届かない」と感じたとき、
自分のほうが間違っている気がして、よけいに落ち込んでしまうことがある。

同じ世界に生きていない

ある人気作家の本を読んだ。

疲れた人にはちょうどいい、そんな優しく軽やかで、甘い言葉が並んでいた。
「共感力」があって、「否定せず」「やさしく受け入れる」語り口。

一見、とても“救い”のように見える。

けれど読み進めていくうちに、どこかで苦しくなってくる。

この人の言うようには、生きられない。
そもそも、同じ世界に生きていない気さえする。

生きる前提が違う

彼は、もともと“受け取り上手”なのだ。
愛されてきた人の、自然な甘え方を知っている人。

努力をしなくても、まわりから助けてもらえる“軽さ”を持っている。

たぶん、彼にとっての「甘える」は、そんなに難しいことじゃない。
むしろ、息をするように、当たり前にしているように見える。

「困ってるって言えば、誰かが助けてくれる」
「ラクに生きても、うまくいく」

それが生きる“前提”にある。

でも、そんな信念を持てない人もいる。

甘えたら嫌われる。
ラクをしたら見捨てられる。
頑張らなきゃ、生きていけない。

そうやって、自分の感情を抑え込んできた人にとっては、その軽やかな言葉は、自分だけ取り残されたような悲しさを感じさせる。

心の構造は変わらない

たしかに、彼の本は疲れた人を一時的に楽にしてくれるかもしれない。
「そんなに頑張らなくていいよ」と言ってくれる人は、貴重だから。

だけど、根っこにある信念――

「私は価値がない」
「甘えてはいけない」

そんな深い傷には、触れないまま終わってしまう。

結局、一時的な癒しにはなっても、“心の構造”は変わらない。

読み終わった後に残るのは、
「そうなれたらいいけど、やっぱり私はなれない」
という、もっと深い自己否定だったりする。

無邪気さが人を傷つけることも

もちろん、それが悪いわけじゃない。

彼の存在は、“入り口”としての価値がある。
心の力を抜くきっかけになる人も、たくさんいるだろう。

でも、「本当に苦しんでいる人」「信念レベルで自己否定が根を張っている人」には、その軽やかさが、かえってナイフのように見えてしまう。

信念と前提が違うだけ

だからこそ私は、
「軽やかな言葉に救われなかったあなた」に伝えたい。

あなたが悪いわけじゃない。
それは、信念と前提が違うだけ。

同じ言葉が、届く人と、届かない人がいるという、ただそれだけのことなのだ。

無理に“軽くなる”必要なんてない。
あなたは、あなたのままでいい。

あなたの歩幅で、ゆっくりといこう。

本当の癒しは、「ラクに生きよう」という言葉よりも、
「頑張らなくても、愛されていたんだ」と感じた瞬間に、静かに始まるのだから。

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