なんでも取り入れてしまう国、日本と、自己受容の話

なんでも日本流にアレンジ
TikTokやグローバルなコンテンツを眺めていると、ふと「日本らしさって何なんだろう?」と思うことがあります。
洋風、中華、アメリカ、韓国――
私たちはあらゆる文化を器用に取り入れて、気づけばすっかり“日本流”に変えてしまっている。
ラーメンも、クリスマスも、ジャズも、スーツも、アニメに出てくる神様すら、どこか日本っぽくなってしまう。
でも、そこに「違和感」よりも「しっくりくる感じ」があるのは、なぜだろう。
日本らしく”ズラし”てしまう
日本という国には、何かをそのまま受け入れるだけでなく、自分の感性で咀嚼して、馴染ませ、再構築してしまう力があるように思います。
それは単なる模倣でもなければ、直訳でもなく、もっと柔らかくて、本質的で、深い何か。
まるで日本という鍋に入れた具材が、いつの間にか日本的な味付けになってしまうような。
外からやってきた文化や思想を拒否するでもなく、かといって盲目的に従うわけでもなく、「これ、うちら流にやったらこんな感じになるよね」と、ちょっとズラして、自然に馴染ませていく。
その“ズラし”にこそ、日本らしさがあるのかもしれません。
自己受容の精神と同じ
私たちは、長い歴史の中で、仏教も、キリスト教も、資本主義も、洋服も、全部“自分たちのもの”にしてきました。
それは、言い換えれば――
すべてを否定せず、いったん認めて、受け入れて、統合していく力です。
そう考えると、これはまるで自己受容の精神にも似ている気がします。
完璧じゃない部分も、借り物っぽいところも、うまくいかない部分も、ぜんぶ否定せず、「まあ、それもあるよね」と言いながら馴染ませていく。
そうやって、自分だけの色をつくっていく。
日本という国も、きっと同じように、いろんなものを受け入れながら、自分というものを少しずつ育ててきたのだと思います。
日本人が持つ再解釈の力
共産主義のように支配でもなければ、アメリカのように完全な自由でもない。
どこか中立的で、あいまいで、余白のある生き方。
その曖昧さに、どこかもどかしさを感じる時もあるけれど、でもそれが、争わず、調和を生み、他者と共存できる力にもなっている。
もしかすると、そんな「再解釈の力」こそ、これからの時代に必要な、静かだけど大きな知恵なのかもしれません。
あなたは、自分の中にある“いろんな部分”を、どう受け入れていますか?
外から来たものや、誰かの価値観を、自分なりにどう咀嚼していますか?
私たち一人ひとりの中にも、日本と同じような「再解釈の力」があるような気がしています。
あなたへのプレゼント
もし、もっと自分の心とやさしく向き合いたいと感じたら、こちらもご覧ください。
電子書籍プレゼント(無料)
『自己受容の魔法 〜わたしを許したら世界が変わった〜』
自分の心を癒す、自己受容のヒントを詰め込みました。物語で読みやすくなっています。

体験セッション
一人ではたどり着きにくい心の奥へ、そっと寄り添ってみませんか。
あなた自身を、もっと自由に、もっと軽やかに生きるために。

最後までお読みくださりありがとうございます^^